晴れた日に雨の撮影はいけない


買ったばかりのファッション雑誌をながめていると、かなしくなってくる。ウールの冬コートをなびかせて石畳の通りを駆け抜けてゆくモデルは、眩しい空の青と強い夏の陽射しの中で汗をこらえているに違いない。熱さをこらえながらニット帽の下で頬をすぼめ、ストックホルムの港でコートのポケットに手を突っ込み肩をすくめている。僕は冬に騙されたふりをしながらページを繰る。ページから次々にあふれ出る夏の陰影に置いてけぼりにされて、さみしくなる。ほら、古い映画の土砂降りシーンなんかで、宵闇のフィルター越しに快晴の朝の光を見てがっかりすることがあるだろう?雨に濡れた恋人たちが別れを惜しんで頬を寄せ、最終列車を待っていたりする。列車はなかなかこないが、シャワーに反射する陽の粒が輝かしくてかなしいのだ。恋人たちは時間に置いてけぼりにされているだけで、滑稽だね。晴れた日に雨の撮影はいけない。ファッション雑誌の夏号の、冬枯れた街から軽やかな麻のセットアップを着こなした被写体が、灰色の海岸に素足で逃げるカットはたのしみだけどね。冬はまだ、これからだけどさ。

この秋、やっと高校を卒業できることになった。クラスメイトが中学生時代にやってたバンドのデモ・テープを聴きながら、僕は自室でセンチメンタルになっている。 バスルームで録音した彼らの声は丸くて棘もなく、ただただ甘い。何かを傷つけることもないやわらかな音。 何十年という記憶が、開け放った窓から吹き込む風にゆらぐ。 長すぎる高校生活だったために、僕はまだ十五歳のままだ。 床に足をなげベッドに寄りかかりながら、雑誌にはさんだ封筒をとりだす。 うすいグラシン紙に流麗な万年筆の筆記体が透けて見える。

レミングだかファラデーだかの法則をすっかりマスターした彼女が週末に物理教室の外によびだしてきて、僕の湿った掌に握らせてきたメモだった。身体の線をくっきりと浮かび上がらせた厚手のスウェットワンピースをまとった彼女は大人だけれど、恥ずかしそうに目を伏せていたのは、やはり僕と同じまだ十五歳のままだったからだ。メモに記された暗号のような「ANDO-S4」は、町外れにあるバー“&O”のカウンターテーブル番号とわかったが、図書館の安藤何某という作家のサ行タイトルが並んだ書架での待ち合わせなんだなと、とぼけてみる。つき合ってたあいつと何故別れたんだ?ずっと僕に気があったの?いいえ、ワタシ、来週月曜にちがう男の子に告白するつもりだったの。ワタシ、二十年かかってやっと卒業できたけど、ロッカールームに荷物を置きっ放しなの。君、車を出してくれないかな。ブリキの兵隊が三十万人待機して守ってるとは聞いたけど、荷物の取り置きは来年の九月までだって。お願い!ワタシ、何回も引っ越しを繰り返して、たくさんの思い出を捨ててきたのよ!彼女は嗚咽を漏らしたあと、ふと夢から覚めたように茫然と校門の向こうに広がる休耕畑に去って行ってしまったんだ。まるで、ウスバカゲロウのように。

知ってるかい。ウスバカゲロウは蟻地獄の成虫なんだ。体育館の軒下のさらさらした砂地で、恋人たちの囁きに聞き耳立てながら乾いた思い出を捕らえてる。天気雨なんか、かなしくないのさ。


© prose poetry by hiromi suzuki, 2015

書き下ろし散文詩 『晴れた日に雨の撮影はいけない』 / 鈴木博美