夜のストレンジャー


眠れないのかい? 何者かが、枕元で囁く。午前二時。

台所で珈琲を淹れる。 カフェインは交感神経を刺激するというけれど、僕には安寧の香りだ。 ガス台の上の窓を開けると、秋の気配を感じさせる冷気が忍び込んできた。キッチン・テーブルに積み重ねた水道料金や電力会社からの請求書が風に煽られて床に落ちる。

葉書だよ。何者かが、背もたれの壊れたダイニング・チェアから拾い上げる。フィレンツェかローマからの絵葉書だよ

古い友人からの暑中見舞いだった。宛名の裏には、夕焼け色の水着にパイル地のガウンを羽織った彼女のポートレートがあった。(軽井沢のホテルにて) と添え書きされていた。長いあいだ音信不通だったし、僕も何度か引越しを繰り返していたから、彼女からの郵便は奇跡だ。しかし、よく見ると葉書は暑中見舞いではなく季節はずれの喪中通知だった。去年の秋に彼女の母親が亡くなった、と記されている。 (これで私はみなしごになりました) もともと僕らは皆みなしごじゃないか、と独り言ちた。彼女はいつも一人でどこかへ旅に出ていたし、僕とはちょっとしたクリエイティヴ・ライティングのワークショップ仲間だっただけだ。ワークショップでは、作家志望が思い思いに作り話を披瀝しあい、創造の世界そのままに作り話に生きていた。だから、僕は彼女の本当の姿を知らない。彼女も、僕を知るはずもない。

ベランダに出て手摺りに身を預けながら煙草を吸った。遠く高層マンション五階の常夜灯がひとつ点滅しているのが見える。息の絶えかけた蝉みたいだ。最期のチカラを尽くしているかと思うと、パタリと生命のエピローグに暗転する。と、またパチパチと弱々しげに小さな白い閃光を放つ。

煙草を吸い終わるまでに電球が切れるか賭けてみるかい? 何者かが、背後でわらう。夜明けまでもつだろうよ。日の出とともに陽光に紛れてフェイドアウトするのさ。

ベランダの下から大音量のフランク・シナトラが聴こえてきた。真向かいの、コグレ眼科の二階のサッシが開放されていた。今宵は 『Strangers In The Night』 だ。夜行配送トラックの走行音の途切れ途切れに、フランク・シナトラがしなやかに唄い上げていた。


夜のストレンジャーたち
二人のさびしいストレンジャーたち
僕らは見知らぬ者同士だった
思いがけない「やあ」が
二人の口からこぼれる一瞬までは



やあ。いつの間にか僕のとなりで鼻歌を愉しんでいる何者かが、コグレ眼科の電飾看板に描かれた目玉に声をかける。目玉は、パチリとウィンクする。



一目惚れの恋人たち
永遠の恋におちて
気持ちが触れ合った
夜の見知らぬ二人



泣いてるのかい? 何者かが、水滴に潤んだ電飾看板の目玉に問いかける。夕立が残した雨粒が、目玉をぼんやりと滲ませていた。



愛は煌めき通り過ぎていくだけ
寄り添って踊った温もりが蒸発していく

Do dody doby do  do doo de la  da da da da ya ....





◆◆◆
フランク・シナトラ 『Strangers In The Night』 1966
作詞・作曲 :: ベルト・ケンプフェルト / チャールズ・シングルトン / エディー・スナイダー
歌詞意訳 :: 鈴木博美




© prose poetry by hiromi suzuki, 2016

書き下ろし散文詩 『夜のストレンジャー』 / 鈴木博美