鮫洲大山線


製菓工場からトラックが出ていく。缶詰のカレーやボルシチ、冷凍された肉まんやあんまんが、十年前に開通した交差点を右折するコンテナの中でゆれている。思い出せないのは、十年前に整備された交差点にあったはずの木造家屋やドブ川跡のちいさな脇道だ。確かに、ひとびとの生活の気配があって、側溝の泥濘(ぬかるみ)に靴を汚したはずだった。
思い出すのは、靴が溶けた、ある雨の日のことだ。
商店街の入り口に一週間限定で出店していた小屋で、バッタもんのバッグやシャツや帽子の棚から百円の靴を見つけた。値段にしては立派でピカピカの革靴だった。こりゃいいや、雨の日用の靴にしよう、と購入した日曜日の翌朝は灰色の月曜日で、折りたたみ傘をたずさえて百円の靴で職場にむかった。案の定パラパラときはじめて、傘を開いて泥濘に足跡をつけて歩いた。ふと気付くと、靴底がはがれて道にはりついた。次の一歩で靴紐を残して、靴はあっという間に雨に溶けてしまった。あわてて家にもどる足跡は足指のかたちをくっきり浮かび上がらせながら、土砂降りの雨にかき消されていったのだった。リビングルームでは彼女が寝ていたけれど、ぼんやりとした二日酔いの表情を崩しながら僕の足下を見て笑った。そして、そのままソファカバーを被って眠りの国に行ってしまった。
思い出すのは、溶けた靴のことでも、ずぶ濡れの裸足を笑った彼女のことでもない。あの雨の日。足跡や足音をすべて浚っていった雨、ある雨の日のこと。
点。
一日いちにちが積み重なって十年が経ったはずなのに、いつの間にか拡張した都道の見慣れた交差点に立っても、開通した先のあの街が思い出せない。振り返った風景も遠い。あいかわらず、製菓工場から缶詰のカレーやボルシチ、冷凍された肉まんやあんまんがトラックで運び出されていく。街角のコンビニで、適度に蒸された肉まんを買う。ただただ毎日を食んでいる。


© prose poetry by hiromi suzuki, 2015

書き下ろし散文詩 『鮫洲大山線』 / 鈴木博美