午後3時のマヨネーズ


岩盤の山肌に脚立を這わせて、木を刈る老人がいる。木というよりは、羊歯だ。岩の隙間から沢が滲みだしているのだ。午後3時から日が暮れるまで。木の根にしつこく絡みつく葉を茎ごとむしっては投げ捨てている。山は小さくて低く、かつて石切り場であった名残で、葉や蔓をはぎとられた岩がむきだしになっていく。作業は数ヶ月、続いているだろうか。老人は知らない。山のことも、沢のことも。湧き出した沢が、町の生活の水源であるクリークになり、やがて下流の港にたどりつく大河に変貌することも。地主である彼は、夏の盛りに獣のように、羊歯がその偉大なる生命力を、手をひろげて謳歌していくのが煩わしいだけなのだ。

山の頂ちかくに、掘っ立て小屋がある。人が住んでいる気配があった。泥土に打った杭のてっぺんに「ここは俺の家だ」と言わんばかりの、襤褸切れがはためいているからだ。小屋の前に雨受けタンクがあり、そのまわりで野いちごや山葡萄の愛らしい色が違和感をはなっている。5年前、山中で防空壕探検にでかけた夏休みの小学生たちが、白骨化した死体をみつけたことがあった。半年から一年たった死体は骨格から男性とみられた。名前も顔の記録も存在しない男性の引き取り手はなく、町の役場によって焼かれた。いっときは掘っ立て小屋の主ではないかと噂されたが、その後も小屋の前のタンクの蓋が開いていたり閉じていたりしていた。

私が上流にむかって沢をたどり、山腹の藪の中で初めて掘っ立て小屋に遭遇したときは、殺人鬼でも潜んでいるのではないかと身がすくんだ。静けさがあった。無言の怒りの静けさだ。木々が風になびいて葉の擦れる音はあった。風にまぎれて、怒りと悲しみの静かな息があったのだ。陽光が水に輝いて溶けていた。源泉はみつからなかった。もしかしたら山自体が水なのかもしれない、と思った。岩と岩の間といわず、そこかしこに水があった。そして、そこかしこに羊歯が繁っていた。


© prose poetry by hiromi suzuki, 2015

書き下ろし散文詩 『午後3時のマヨネーズ』 / 鈴木博美